公開日:2025.10.17
[青嵐俳談]森川大和選
講師と一対一。四時間の黒本学習会に臨む。「黒本」とは戦後五十年の機に収集された被爆体験記の通称。訪れた国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館にはその76巻が収められ、館内に限り閲読が許される。講師はそれらの朗読活動を続ける「永遠の会」の副代表で、体験の一編一編を丁寧に読み込み、場面やテーマ毎に分類研究を進める先覚である。被爆された方との交流を通して「被爆者は自分一人の体験しか伝えられないが、あなたは多くの体験を伝えることができる。頑張って」と励まされたという。戦後世代が戦争を語り継ぐ意義。平和のバトンを渡す祈り。そばだてて聴く。
【天】
木犀や姉の指先こそ真闇和歌山 朋記
「姉の指先」は何を為すか。鍵盤を離れるか、星を指すか、詩集を繰るか、花を剪むか。人格の正面が美に耽るとき、後ろの正面には、継ぎ広がる風に放たれた木犀の香が、いつぞやに凝集する真闇が広がる。
【地】
旗抜かれ穴や終戦日のバーガー愛知 樹海ソース
旗の国名を問えば、バンズの柔らかな頂が領土に見えてくる。だから句は旗を抜いてある。穴の開いた滑稽なバーガーならばノーサイド。しかし、哀辱憎怨を生む戦争はそうはいかない。被害の傷はずっと癒えない。加害の傷もずっと消えない。為政の智を望む。
【人】
秋うららたぶららさならあさはなだ埼玉 東沖和季
「浅縹(はなだ)」は水色。「浅葱(あさぎ)」よりも一段階濃い藍染の色。秋空の色。日夜の長さの偏りが解消される秋分は、ラテン語で知識や経験のない「白紙」の状態を指す「タブララサ」の心地。
【入選】
秋の蝶名とひきかへに飛ぶちから京都大 水野不葎
開かれぬまま崩れゆく窓へ蔦兵庫 西村柚紀
蜻蛉やポリエステルの空を縫ひ東京 桜鯛みわ
丸くなりきれずフラミンゴは冷える神奈川 岡一夏
あれだけ暴れて手に寛いでゐる蝗千葉 平良嘉列乙
啄木鳥や先生未亡人だった北海道 北野きのこ
小鰯の天ぷらカラリ明日は明日岡山 杉沢藍
梨むきし手がこめかみを濡らしけり茨城 眩む凡
窓外の砂場きらきらして秋思東京 長田志貫
海のなみだ張りつめてゐる月見舟兵庫 石村まい
パンパンの革の筆箱文化の日大阪 電柱
書き置きは落葉のやうな音である松山 若狭昭宏
焼き菓子に粗熱のある厄日かな神奈川 高田祥聖
台風や次の頁は関ケ原東京農大 コンフィ
すっと寝た子の首かくん天高し長野 沢胡桃
多分パンという欠片を持って春熊本 夏風かをる
糸瓜忌や口内炎にポテチ沁む八幡浜 福田春乃
【嵐を呼ぶ一句】
蟻穴に入る靴べらのある玄関米国 爪太郎
朝晩が冷え始めると蛇も蜥蜴(とかげ)も蟻も穴に籠り、冬眠する。空気が澄み、どことなく玄関も少し広く、寂しく感じる。作者の住む米国では「靴べら」はあまり見ない。靴べらのある玄関が郷愁を誘う。