朱欒 しゅらん朱欒 しゅらん

朱欒(しゅらん)について

『朱欒』とは?

松山が誇る大正時代の文化資産
同人誌『朱欒』を翻刻!

翻刻版『朱欒』
5,000円+税

愛媛県内書店他で好評発売中!

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『朱欒』は、旧制松山中学時代に同人誌『楽天』を作っていたメンバー(伊丹万作、中村草田男、重松鶴之助など)が中心となって大正末期に作られたもので、後にそれぞれが映画、俳句、絵画などの世界で著名になり活躍する前の若かりし頃の作品集です。

松山市出身の映画監督・伊丹万作、俳人・中村草田男、画家・重松鶴之助らは、武者小路実篤や有島武郎らが創刊した文芸雑誌『白樺』に心を打たれた、いわば「松山の白樺派青年たち」でした。大正末期、彼らは絵画、戯曲、俳句、お互いの批評などを収録した全9冊の同人誌『朱欒(しゅらん)』を作りました。深い絆で結ばれ、刺激しあい、高めあいながら、「集団としての青春」を送った足跡を示す貴重な記録です。
松山市、久万高原町、町立久万美術館、愛媛新聞社の連携により、2017年9月に翻刻版『朱欒』を発刊いたしました。

『朱欒』表紙

『朱欒』に納められた伊丹万作の作品には、息を殺して前進する「自分」が捉えた戦場の風景を描き、最後は「恋」の話で夢が覚める「或る夢の記憶」や、数奇な運命で兄と妹になってしまった二人の男女、親しくすることは何か特別な罪悪であるかの様に感じていた男が妹に抱いた恋心が引き起こしてしまった醜い罪の記録を遺書として綴る「穴(後篇)」などがあります。

また、俳人中村草田男になる前の中村清一郎は、「童謡と俳句」や山本健吉が草田男の本質だとしたメルヘンの「菊畑」「夕寒い煙突」を書いています。「菊畑」は昔の中国を舞台にした幻想的な作品で、「夕寒い煙突」は未完ですが、少年の心の動きを繊細に描き、のちに「ホトトギス」に発表された原稿の初稿でもあります。

渡部昌は、詩や学生の恋愛を描いた小説を多く発表しており、中でも「若い詩人と王姤の恋の話」は若い詩人と王姤の恋に嫉妬した王が若い詩人を殺し、その肝を王姤に食べさせるというドキッとするような作品です。中村明も詩や小説をたくさん残しており、アンチ白樺派的な美術評論に特色があります。

(左)第4号口絵 伊丹万作「日本歌舞伎圖」、(右)第7号口絵 伊丹万作「お早やうの圖」

出版される書籍は、小西昭夫氏(「子規新報」編集長)、吉田拓氏(松山ビジネスカレッジクリエイティブ校・前総合デザイン学科長)による翻刻のほか、芳賀徹氏(文学研究者、東京大学名誉教授、京都造形芸術大学名誉学長)や中村弓子さん(フランス文学者、お茶の水女子大学名誉教授、 中村草田男の三女)らが解説や寄稿文を執筆。ブックデザインは羽良多平吉氏が手がけました。

(左・中央)手書き原稿、(右)翻刻版『朱欒』表裏表紙

翻刻版『朱欒』
5,000円+税

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正岡子規による俳句のほか、小説『坂の上の雲』に描かれた明治時代から
愛媛・松山に脈々と受け継がれる文学の土壌。

大正期の「松山の白樺派青年たち」による同人誌

同人誌『朱欒』には、伊丹万作、中村草田男、重松 鶴之助ら、「松山の白樺派青年たち」によって執筆されました。その執筆メンバ―の一部を紹介いたします。

映画監督・伊丹 万作(いたみ まんさく)

本名・池内義豊(よしとよ)。昭和3年、同窓の映画監督・伊藤大輔の勧めで映画界入り。片岡千恵蔵プロダクション入社。知性派の監督として知られる。脚本家、エッセイストでもある。大正期には挿絵画家として活躍した。

俳人・中村 草田男(なかむら くさたお)

本名・中村清一郎(せいいちろう)。高浜虚子に師事、「ホトトギス」で客観写生を学ぶ。生活や人間性に根ざした句を模索し、人間探求派と呼ばれた。「萬緑」を創刊・主宰。戦後は第二芸術論争をはじめとしてさまざまな俳句論争で主導的な役割をもった。

洋画家・重松 鶴之助(しげまつ つるのすけ)

春陽会展、国画会展に出品。昭和元年、第1回聖徳太子奉賛展に出品した「閑々亭肖像」は代表作。同5年、共産党に入党し、左翼活動に奔走する。同8年、大阪で逮捕される。同13年、釈放される早朝、35歳で謎の死をとげた。(画像は同氏作の『自画像』)