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青嵐俳談

公開日:2025.08.15

[青嵐俳談]神野紗希選

 〈われわれにわれに今年の八月来〉は宇多喜代子の近刊句集『雨の日』(角川書店)の一句。八月は日本にとってかつての戦争を思う季節だから、共同体としての「われわれに」来る。と同時に、戦禍の世代にも、ついぞ共有できない個々の体験がある。「われに」と重ねることで、そこに生きていた人の数の分だけ、記憶があり、感情があるのだと思い至る。戦後八十年の八月が、われわれに、われに、今来ている。

 【天】

金のない我羽のない扇風機専修大  野村直輝

 同じ「ない」の対句で並べつつ、金のない我の所在なさと、羽のない扇風機のスタイリッシュな現代性を対置させた。簡潔明瞭は俳句の美徳。涼しい諧謔。

 【地】

未熟児に朱鷺色の爪月あかり米国   爪太郎

マカロニをとらへる箸や夏座敷東京  長田志貫

 爪太郎さん、爪に血の透けた朱鷺色は命の証。月あかりの静けさを、明日へ生きて。志貫さん、マカロニのつるりとした弾力は、たしかに箸でとらえづらい。指先の感触が、夏座敷の日常をくきやかに描き出す。

 【人】

薬局に数珠売つてゐる盆休三重 多々良海月

向日葵ひまわりぼくだけがにんげん東温  高尾里甫

 海月さん、お盆の仏事で必要になった人が買っていくこともあるのだろう。具体的事例で、現代の薬局のよろず屋感を捉えた。里甫さん、一面の向日葵畑に一人だけで佇む圧倒と不穏と。生身で夏と対峙する。

 【入選】

八月十五日ドーナツどこから食う秋田  吉行直人

設計図に鉛筆跡やハイビスカス埼玉  伊藤映雪

梶の葉に書くKryptos解く鍵を同  東沖和季

夏すこし喉より溢れ猫逝きぬ和歌山    朋記

泣く前の顔揃へたる祭笛東京  橘あかね

銀漢へ行けさう製図台の角度同  桜鯛みわ

八月のポップコーンに不発弾松山   広瀬康

飲むゼリーじゆどどドライブ始まりぬ新潟  酒井春棋

ひからびたみみず支持率過去最低神奈川  高田祥聖

窒息できぬ枕に汗が染みてゆく同   岡一夏

夏の夜やなづきを泳ぐ深海魚愛知県立大   柊琴乃

苺みるく麒麟現れないんだから洛南高    真枝

刺し違えてサマードレスの裾を踏む静岡  東田早宵

爽やかや湖がまばたきして微風京都   宇鷹田

しじみ汁来て恋バナが弾まない大分大院  鶴田侑己

崩せば崖崩さねば湖水羊羹京都大院   武田歩

足音のひとつ余計な黴の宿東京  加藤右馬

汗ばめる掌よおっぱいの遊び飲み長野   沢胡桃

きららんと金のエクステ夏日影今治   京の彩

風鈴やラストシーンを否定して松山   川又夕

向日葵や地球は何もかも湧かす大洲  坂本梨帆

南風や兄の彗星めく残像愛知 四條たんし

ゴーギャンの少女べとつく晩夏光京都 ジン・ケンジ

 【嵐を呼ぶ一句】

薄切りのきゅうりの向こうのリビング兵庫  西村柚紀

 薄切りのきゅうりとリビング、ふだんの夏がうっすらとみずみずしく切り取られた。「向こうの」は「透けて」くらい書くと、日常が少し儚く輝くか。

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