公開日:2025.05.09
[青嵐俳談]神野紗希選
今年の立夏は北条の鹿島で迎えた。新緑の山、ほろほろと散る藤のむらさき。浜にシーグラスを拾えば、まぶしい日差しによく光る。鯛飯に追加した刺身の蛸も夏の季語だ。帰路、息子が俳句のリズムで口ずさむ。「海の風、きょうはいっぱい遊んだよ!」
【天】
「我々」の外のぼくらや鴉の巣東温 高尾里甫
「我々」と勇ましく括られるとき、想定されていない/与しない「ぼくら」であることの疎外と矜持と。鴉の無頼が、社会を外から見つめる視線に実体を与える。批評精神と素朴な連帯をすこやかに育てよ。
【地】
なけなしの眠気を摑めずに雲雀大阪 未来羽
うまく眠れないのは多くの現代人の悩み。「なけなしの眠気」の表現が生む諧謔。雲雀のまぶしさにさらに眠気は遠のき、ぼんやりと明るい今を生きる。
【人】
詩に渇くくちびる春の星ぎうぎう埼玉 伊藤映雪
鞦韆を四角き柵の中で漕ぐ京都大院 武田歩
映雪さん、くちびるだから、詩が声として響く。ポエジーを欲する眼の飢えを、春の星のひしめきが絢爛に充たして。歩さん、四角という把握の窮屈さ。自由に見えるぶらんこも、制限の中の遊びにすぎないのだ。柵の向こう側をぼんやりと見つめつつ。
【入選】
聖五月ぼくたちにとうめいな母語東京 池田宏陸
雀葉を叩き泰山木の花同 加藤右馬
花守の傘を斜めに持ちにけり東京農大 コンフィ
過去も未来も蜜柑の花も島の影松野 雨宮鹿男
クレソンや風の溜まってゆく王墓和歌山 朋記
バードウィーク白板のうらおもて京都 宇鷹
ムスカリらへんに来ればあつさりさやうなら京都大 水野不葎
遺伝子は淋しくねじれ春の海愛知県立大 柊琴乃
愛するは侵食に似て春嵐八幡浜 福田春乃
麦打やあかがねいろの風を飼ふ神奈川 ギル
はじめに言葉ありき言葉に土筆あれ同 高田祥聖
流星群仰ぐ白詰草の丘一ツ葉高 とき
タピオカのストロー無くて蜃気楼大分大院 鶴田侑己
風光るみどりの瓶で注ぐみづ千葉 平良嘉列乙
水面には春満月や湾は抱く大洲 坂本梨帆
鉢植に差し込むホース五月晴松山 川又夕
永き日や尾の見事なる風見鶏愛媛大 飯本真矢
硝子越しの硝子の靴の余寒かな中央大 近藤匠也
#(ハッシュタグ)春の光や京都弁今治 京の彩
初夏のキッズカメラの色豊か松山 若狭昭宏
糸遊にきみホログラム宇宙論埼玉 東沖和季
【嵐を呼ぶ一句】
通話切れてよるがおおきい春の茄子今治 脇坂拓海
茄子なら夏の季語、秋茄子も歳時記にあるが、春の茄子とは。今は年中スーパーで売られているからじゅうぶんあり得るのだが、春なのに茄子というちぐはぐな感じが、この句のとぼけた味わいを漂わせている。「切って」ではなく「切れて」である中途感が、「よるがおおきい」のぼんやりした把握や「春の茄子」の歳時記の外側できょとんとしたさまと響き合う。