公開日:2025.02.14
[青嵐俳談]神野紗希選
「新しい材料を句にする際は特に出来るだけ単純化する事を要する。単純化するだけ力と深みが出てくる。単純化されてゐない句は、材料を昇華してゐない。作者が材料に打ちまかされた句である」(「傘火」昭和9年8月号)とは俳人・篠原鳳作の言。現代の芯、人間の芯、命の芯を十七音でひとつかみにすること。私を介し単純化された現実は、強靱な詩となりうる。
【天】
雪嶺や牛の子宮の浮腫みだす北海道 北野きのこ
うすらひのそこひを滾る星のこゑ東京 桜鯛みわ
きのこさん、牛は発情期に子宮が浮腫むらしい。雄大な雪嶺が厳そかに命の営みを見守る。同時作〈雪兎一匹分の軽蔑を〉も雪の清らかさを句の芯に通した。みわさん、薄氷の底に星の声が熱を帯び滾っているのだとしたら。地と天、氷と熱を、輝きが結ぶ。
【地】
職安のカーソル遅し木の葉散る静岡 海沢ひかり
職業安定所のパソコン、動作が重たく、カーソルが思うように動かない。苛立って視線を外へやれば、木の葉の散る速度も、どこか現実からずれ始める。不安定な現代を生きる違和を、一場面に落とし込んだ。
【人】
縄跳に引つ掛からずに中退す新潟 酒井春棋
日脚伸ぶ地球は真円になりたい松山 近藤幽慶
春棋さん、引っ掛かったからではなく「引つ掛からずに」中退するのが現代的だ。分かりやすい失敗がなくても、その人だけの大事な何かがあるのだ。幽慶さん、地球は球体だが、山や海があり、でこぼこしている。真円になりたい地球を、日差しが優しく包むか。自然の包容力に、満たされなさを委ねたくなる。
【入選】
脊柱側彎症の神々沼凍る和歌山 よしぴこ
ドアポストをあぶるる督促状へ雪千葉 海亀九衛門
冬天や大河は鳥の死を許し青森 夏野あゆね
おにぎりに米粒の個や大試験神奈川 高田祥聖
氷塵の朝陽を傷つけて光る東温 高尾里甫
外套やどこもかしこも夜の神神戸大 石崎智紀
青春の質量白息七個分八幡浜 福田春乃
察すれば別れしかなく雪解水松山 川又夕
店員の名札イニシャル冬の月同 舞句
太陽や晴着に隠す自傷痕愛媛大 悠生
クリスマスローズ肋に傷の痕愛光高 飯本真矢
肱川は冴ゆカーラジオはSoranji大洲 坂本梨帆
掌の甘さを嗅いで虎落笛愛知 高橋亜実
ウインカーだしてとほくの返り花静岡 酒井拓夢
性別が憎い着膨れても曲線京都 佐野瑞季
あ、雨だって思う鋭さ冬の風徳島文理大 凪の日
ちぅと吸ふ春雨スウプ日脚伸ぶ大阪 未来羽
地獄にも椿あるらし落ちるらし同 宇都宮駿介
ひらかれてゐる一月の楽譜かな茨城 眩む凡
消しゴムのほのかに黒く春を待つ東京農大 コンフィ
【嵐を呼ぶ一句】
コートの釦上から二つ留め臨月長野 沢胡桃
臨月はお腹が張り出しているので、コートの釦も留められない。二つだけ留めたという具体性が、妊娠中のリアルな実感を俳句に刻んだ。体験的俳句の重み。