公開日:2024.09.06
[青嵐俳談]森川大和選
俳句の読みは誰にも分かる一本に収斂されなければならないか。それも俳句の醍醐味だ。だが、読みの岐路を行きつ戻りつ、迷路を潜るほど長く対峙した後に見つかる読みにも、17音の未踏地が輝いている。
【天】
n枚の夏を画鋲でとめる式静岡 東田早宵
夏の体験とその記憶の鮮度は猛スピードで過ぎ去ってゆく。それを画鋲で留めたいという衝動に共感する。では「n枚の」は何に係るか。「夏」ならば、複雑なそれをシンプルな公式が超然と摑む。「式」ならば、長く荒く、頓挫しかけた跡を残し、情熱的に泥臭く辿り着いたそれが見える。私は後者の読みを推すが、上五が両者に係るのならば、何と夏と式は全く等価になる。
【地】
母のカリンバ颱風の底に鳴る和歌山 よしぴこ
「カリンバ」はアフリカが起源の楽器で、両手に包み持ち、長さの違う金属棒を親指で弾く。優しい音。この句では、お母様の形見か。偶然鳴った一音が、台風の猛威におののく家族を安心させる。または、記憶中の癒しの音色が台風圏に届き渡ると読めば、被災地への深く静かな祈りとなる。同時作〈生者のバスみな俯いて秋日へと〉は日常と戦場が、〈波の奥にかなかなの城朽ちている〉は沈没艦と魂の故郷が重なる。
【人】
ワンオペのミニシアターや敗戦日八幡浜 春乃
支配人のこだわりが詰まったミニシアター。レトロでメッセージ性が強い。時代に淘汰されてほしくない。「敗戦」に至る過酷さを知る戦争体験者の方々の思い、その固く平和を願う意志を風化させてはならない。
【入選】
流燈たゆたふ河にわたしの腑に神奈川 高田祥聖
タバスコに樽の甘き香鳥渡る大阪 葉村直
星月夜意思表示欄保護シール東温 高尾里甫
国際電話切るや白夜の窓ガラス埼玉 伊藤映雪
終戦日遠き戦争には触れず名古屋大 磐田小
いるかショーの深き潜水秋はじめ兵庫 西村柚紀
秋めくや本尊そっと閉じる僧立命館大 乾岳人
盆用意富山の錫を鳴らしけり長野 川端芙弥
缶ビール手に黙祷をする男東京 加藤右馬
巴里は夜開けつ放しの冷蔵庫大阪大 野村隆志
哺乳類になりたての子や野分の夜千葉 弥栄弐庫
生傷はきんいろである盛夏なり京都共栄高 鯛石
手拍子の疲れはじめる文化祭甲府南高 斉藤巻繊
払ふまでひととき蟻の径となる熊本 貴田雄介
あまのがはこはれてあをき時間かな東京 池田宏陸
館涼しネフェルティティの長き首神奈川 沼野大統領
不機嫌なプールサイドの母である同 にゃじろう
【嵐を呼ぶ一句】
満月や今のとこ右だつたぢやん三重 多々良海月
運転手への不満を言い終えた頃には、もうそんな些末なことはどうでもよくなっている。道を間違えたときに一瞬見えた満月の、驚くほどの美しさのせいで。