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青嵐俳談

公開日:2024.03.08

[青嵐俳談]森川大和選

 森鴎外『舞姫』の主人公豊太郎は、日本へ帰る船上で自身の不甲斐なさを痛感し、悶え苦しむ。初め「一抹の雲」ほどであったそれも、中頃に「腸(はらわた)日ごとに九廻す」る惨痛となり、セイゴンへ着く頃には「心の奧に凝り固まりて、一點の翳」となり、表面上は落ち着くものの、ことあるごとに思い出し、「幾度となく我心を苦む」変化を見せる。痛みとは何か。

 【天】

痛みとは密室に置く香水瓶和歌山  よしぴこ

 この痛みの美しさ。初めは瓶も満たされていた。時に思い出し、使わねばいつまでも減らぬ香水の「秘密の痛み」。付けすぎては酔い、無くては思い渇き、ほんの少量ずつ、日薬としてくゆる年月。人間の胸中には何本の香水瓶が並び、幾つ濡れ、乾き、いずれ失せるか、置かれたままか。無栓の瓶も、倒された瓶も。

 【地】

春風や白百合色の龍を描く静岡 桃園ユキチ

人間は楽器をつくる焼野かな東京  高橋実里

 「白百合色の龍」は生まれたての質感と、あどけない表情を残している。天に上る春の龍の再生と、死に代わり、生き代わりする龍の代々の循環。野焼き一年、人間一世、直し繋ぐ楽器の数世紀。みな生きている。

 【人】

荻の焼原ままごとのキャッシュレスノートルダム清心女子大 羽藤れいな

 ごうごうと焼き、焼けば生まれる神々しさの中で、電子音を真似る「キャッシュレス」の面白さ。その音の交歓に暮れる一日。生命が大地に歓迎されている。

 【入選】

記憶てふ風葬春の野に迷ふ日本航空高  光峯霏々

ふきのたうそこから秘密漏れていく京都共栄高     敢

遮っても遮っても蝶々雲松山    舞句

風かわったね流氷きたかもね北海道 北野きのこ

ひらがなで西洋の名や苗木市三重 多々良海月

亀の背に番号バレンタインデー神奈川   岡一夏

蝶生るすなはち過去を持ちはじむ大阪   葉村直

受話器から爪を切る音ヒヤシンス愛媛大  岡田快維

卒業前夜ポップコーンが弾けない秋田  吉行直人

断水を終へてコインランドリーの春新潟  酒井春棋

園児らの転がつてゐる春落葉洛南高   ソソソ

紅梅は風に手毬をつくやうに東温  高尾里甫

休職の午後や焼藷透きとほる兵庫 染井つぐみ

水の字も火の字も春も不安定岡山    ギル

絶対と言つてしまつて雪間草甲府南高  斉藤巻繊

普通ってなんだアスパラガスパスタ東京   ツナ好

柴犬はハウスのそばで青き踏む兵庫  西村柚紀

 【あと一歩青葉のすゝめ】

こわいですか。春雨は止みます、きっと。四国中央医療福祉総合学院  坂本梨帆

 心地よい春雨をも恐れる繊細さに寄り添う思い。句読点よりも〈こわいですか春雨は止みます きっと〉の一字空けでどうか。「きっと」が落涙の形に見えてくる。安心と救いへの期待がもう少し強まる。

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