公開日:2023.09.29
[青嵐俳談]神野紗希選
今日は十五夜。月が出れば名月と喜び、出なければ無月、雨月とまた味わう。月は見えずとも在ると捉える、見えないものを感じる力を、俳句は磨いてきた。
【天】
無月の牢紙のロザリオなぞる指東京 北欧小町
母になるまえの夢見し風白し茨城 五月ふみ
北欧小町さん、かつてのキリスト教弾圧か。捕らえられた牢の中、紙で作った即席の十字架に、月も見えぬ夜の祈りを託す。「なぞる」の動詞が、生きた人の呼吸を引き寄せた。ふみさん、ひとたび母になれば、怒涛の育児の日々。ふと夢に見た過去も、現実の秋風に色あせてゆく。時間の不可逆を思うのも、秋だ。
【地】
ハチドリのためのオレンジ蟻舐るサンパウロ大 中矢温
闇に飲むみづの透明九月の木東京 早田駒斗
温さん、ハチドリとオレンジと蟻、具象物の存在感がブラジルの風景を立ち上げる。「舐る」で句に命が宿った。駒斗さん、九月の木も水を吸い上げ立つ。「闇」「透明」の質感が、秋の透き通る陰影を描写した。
【人】
ヴィーガンの皿美しき茸かな神奈川 はせがわ水素
かなかなやベッコウ飴の角硬し静岡 桃園ユキチ
水素さん、ヴィーガンとは完全菜食主義者のこと。肉を徹底的に排除した皿の上、茸の形は清らかとも不気味とも。「美しき」が描写とも皮肉ともとれる曖昧さがよい。ユキチさん、下五の的確な描写、配合した季語も距離感が絶妙だ。ほの甘く金色に透ける秋。
【入選】
警備員最後に月を確認す茨城 眩む凡
銃声がひとつ鳩吹がふたつ北海道 北野きのこ
光年の意味を調べる降り月東雲女子大 田頭京花
不等式の何処に我ぞ夏期講習秋田 吉行直人
台風の日にウチへ来たハムスター長野 里山子
秋湿り木のハンガーの鈍器めく大阪 葉村直
菓子箱のプチプチに秋惜しむなり洛南高 久磨瑠
向日葵畑を積分したら恋生まれ大分大院 鶴田侑己
地下鉄を出れば銀河に巻き込まれる京都 斎藤よひら
秋麗の距離感拳二つ分松山 川又夕
唇に百舌鳥の棲みつく虚言癖京都 佐野瑞季
秋声に手紙ひたして投函す兵庫 市川文
いつしんに次の草へとゆく秋蝶洛南高 転々
記憶より声乾きゆく花野かな名古屋大 磐田小
日ぐらしや影と見紛ふみづの跡兵庫 染井つぐみ
かなかなのかなは螺旋の呪文めく新潟 酒井春棋
秋北斗明日は登校しないから松山 ひなこ
手のひらを跳ねるふうせんかずらの碧京都共栄学園高 川崎亜湖
風 バグって固まったコスモス広島 出女
あげはなび仮設トイレの最後尾愛知 樹海ソース
【嵐を呼ぶ一句】
戦前はこんな秋麗かも知れず福岡 よこじま
戦後がいつしか戦前に。戦争に突き進む言葉は流麗で力強く明るい。かつての戦時、短歌や俳句といった詩歌も、日本の伝統として戦意高揚に利用された。秋麗の美しさを鵜呑みにしてよいか。今へ問いかける。