公開日:2023.09.15
[青嵐俳談]神野紗希選
R・S・ガネット作「エルマーの冒険」を読んだ息子の感想は「蜜柑を食べすぎ」。主人公エルマーは冒険に31個の蜜柑を携え、一度に七つも八つも食べるのだ。先日発表された正岡子規の未発表句〈吾健にして十乃(の)みかんをくひつく須(す)〉にエルマーを思い出した。蜜柑の明るさには励ましの力がある。
【天】
草笛を栞にすることもできる愛媛大 岡田快維
もちろん草笛を本に挟めば栞になるが、しなびてもう吹けなくなるだろう。ひょうひょうとした語り口の奥に、可能性が存在の終わりを示す切なさが匂う。
【地】
骨盤は羽ばたく形星月夜静岡 桃園ユキチ
バッター液刮ぐる肉や夏休東京 北欧小町
ユキチさん、骨盤の形は確かに翼のよう。飛ぶ可能性を想像して仰ぐ星月夜は、優しくきらめく。北欧小町さん、肉をバッター液に浸し、余計な衣をこそげて油へ。とんかつやフライを作る過程を、具象に徹し描写した。対象の輪郭が正確、夏休みの食欲が爆ぜる。
【人】
星河揺るアンモナイトの真珠層福岡 横縞
秋高しケバブの肉は多面体東京 コンフィ
横縞さん、アンモナイトの真珠層のきらめきが、天の川の乳白色の輝きと、夜の闇の中で融け合う。宇宙と古代の命、はるかな時空に「揺る」が現在性を加えた。コンフィさん、ケバブの肉の塊は、角度を変えながらこそげてゆくので、確かに多面体だ。地球を感じる季語がワールドワイドな食ともよく合う。
【入選】
扇風機子が倒し風出なくなる岡山 杉沢藍
新涼や教官に顔覚えられ日本女子大 新谷桜子
ひと息にパイ切り分ける後の月松山 川又夕
子を産まぬ性に生まれて秋暑し神奈川 高田祥聖
河童忌やもしもしと何回も云ふ大阪 未来羽
庭木刈る動脈に急き立てられて東京 加藤右馬
さらさらの満月文面がきれい西予 えな
噂とは嘘の脱けがら蛇苺中国 加良太知
木犀や母の英和に母の線自由学園女子高 有野水都
人間は死後もおそろし油虫松山 若狭昭宏
祖母の名で吾を呼ぶ祖父や秋の虹京都 佐野瑞季
満月にお徳用カルパス提げて松山 或人
蔦おほふビルや渋谷を狗の群長野 藤雪陽
コンテナの色剥げ落ちて夜霧かな弘前大 葛城イブ
傷つけた側は「冗談」夏木立大阪 ゲンジ
カレンダーブックカバーにして秋思宮城 佐東幸太
炎天や五人で守りたる一句済美平成 岡柳仙
人類のおわりに桃が落ちていた広島 出女
桃の実や好きな人待つ喫茶店今治 京の彩
帰るべき秋の灯のないふたりかな西条 広瀬康
【嵐を呼ぶ一句】
安全な暑さは失せて道は熱四国中央医療福祉総合学院 坂本梨帆
この夏の暑さは異常で、言葉が現状に追いつかない。そんなときは詩の出番だ。これまでの夏を「安全な暑さ」と言い、この夏の炎熱を「道は熱」と端的に言語化し、名状しがたいものに言葉で輪郭を与えた。