公開日:2023.04.21
[青嵐俳談]森川大和選
春の嵐を思わせる雷雨の夜が明け、庭に飼う柴犬の頭を撫でる。桜蘂もビバーナムの花もみな散り敷いてしまった。風に切れた花の記憶。軍配のような白雲木の若葉やマグノリア・バルカンの巻きの残る葉芽は雨をこぼさず、まだ幼い白藤の花芽はぞっくり濡れたまま光る。水に染みる記憶のさみどり。
【天】
紙の香の即身仏や山桜神奈川 高田祥聖
即身仏は東北に多い。江戸時代に飢饉の多かった東北において、霊験の強い出羽三山の僧侶たちが、衆生救済のために土中に籠り仏となった。寒冷ゆえに状態がよく保たれた。「紙の香」の不思議。軽く、しかし芳しく、余白に満ちた乾き。〈人体冷えて東北白い花盛り 金子兜太〉広大な奥羽山脈をこぼれる桜さくら。
【地】
伴走の声や背後の朧なる松山 栗田歩
不意に「声」が変容したかと思わせる不穏さ。「朧」が持つ春愁の感に触れて、日ごろその人が秘めている不安が心奥から引き出される。疾駆する背は何から逃げているのか。同時作〈朧月パドルに湖のねばりかな〉は漕ぐ音の実感。〈喘鳴や一卵性となる朧〉は春の夜と両肺の暗さが「一卵性」。生の抗いに詩を摑んだ。
【人】
バー帰りの鼓膜を囀りへ浸す大阪 未来羽
ムードのあるバーに時を忘れ、早朝まで飲み明かしたか。五体五感のとろんと溶けた我が身。眼に光、耳に囀り、独り。酔いと夜を明かした罪悪感が、耳から浄化される朝の心地よさに身を委ねている。
【入選】
象は象の夢を見るらし沈丁花大阪 葉村直
花蘇芳クレンジングの泡ひりり東温 高尾里甫
蒲公英か手術説明書の皺か四国中央医療福祉総合学院 坂本梨帆
二月尽折ればあらがう頁の端茨城 五月ふみ
恋情は真昼の暗さ椿餅静岡 真冬峰
啓蟄や痕の戻らぬパイプ椅子松山 森優希乃
木彫の薔薇受くる日よ鳥雲に千葉 木野桂樹
鳥雲に入るや受肉を俟つ喃語神奈川 長谷川水素
父子は寝てしまいひこばえ出てしまい香川 優木ごまヲ
替え玉の硬さまちまち花の昼松山 大助
ブーメランみたいに鯱へ放る鯵岡山 ギル
希望退職はしねえぞ磯巾着千葉 たーとるQ
人生は何度目ですか春キャベツ東京 桜鯛みわ
春の灯のエキス絞ればほら光る埼玉 サトサナ
金属の埋まりし膝よ花の門長野 藤雪陽
作曲家の遺髪より砒素花の雨大阪 ゲンジ
【嵐を呼ぶ一句】
その指を花差し指と思ふなり神奈川 いかちゃん
人差し指をこう言い換えると、古風で艶が出てくる。桜の木、花一輪、飛花一片に、人柄、表情、一言が重なり、擬人化され、非日常の交歓が広がりだす。