公開日:2023.04.07
[青嵐俳談]森川大和選
黒田杏子先生御逝去。夏井いつき先生が「錨」と評した。杏子先生に初めてお会いした日に、上梓直後の第一句集を手渡した。「御笑覧くださいませ」と書いた一筆箋の「ませ」が気に入らないと叱られ、洗礼を受けた。同席した寺井谷子先生にも叱られた。西予市の俳句大会に来られた折は、講演中にもかかわらず「客席のどこかにいる森川大和君は、後で楽屋に来るように」と指名された。その時は叱られなかったが、冷や汗をかいた。いかにも大胆。嫌は嫌。好きは好き。若輩にも厳しく温かかった。それが20年たった今も鮮明である。〈磨崖佛おほむらさきを放ちけり 杏子〉
【天】
ピザ届くラジオタワーや桜騒千葉 木野桂樹
春爛漫の明るさ。屈託のない現代性。今にも花を散らさんとする季語「さくらざえ」のひねりも面白い。〈地球より水はこぼれず桜騒 塩野谷仁〉の例句が分かりやすい。同時作〈万華鏡覗くガストン・ルルーの忌〉も意欲的。愛の悲哀と舞台のきらびやかさが対照的な「オペラ座の怪人」の眩暈を思わせる。
【地】
初雷や宇宙の図案めくホルン神奈川 ノセミコ
比喩に説得力あり。季語も良し。立春後の初雷のやわらかさの中に凜然たる宇宙原初の風情が立ち上がる。ホルンの高らかさに、創世の伸びやかさが重なる。
【人】
夫不在春夜の台湾まぜそば岡山 杉沢藍
「台湾まぜそば」は香味強烈な汁無し麺。鷹の爪とニンニクの効いたそぼろにパンチがある。この御婦人はエネルギッシュで好印象。同時作〈ずりばいで縦横無尽春疾風〉に見るお子さんも元気で何より。
【入選】
攪拌のココアの底に寒戻る東京 加藤右馬
手話のため寄る街灯や春の夜松山 凪
火のなかに火の引きこもる月日貝神奈川 長谷川水素
さへづりやゆるく波うつパンナイフ東温 高尾里甫
口笛が磯巾着に漂着す大阪 詠頃
帆は空を飽くほど抱きて啄木忌東工大院 長田志貫
雪解で切手を貼った手紙だよ茨城 眩む凡
春惜しむ踏む踏むループステーション西条 広瀬康
魚は氷に上るロケットてふ魔物兵庫 染井つぐみ
春めくや高潮の染み残るバー北海道 北野きのこ
春風や代打の好物はチュロス大阪 ゲンジ
靴底を擦って歩くや風光る済美平成 愛心
卒業や三角フラスコに造花神奈川 いかちゃん
薬瓶を被り小雨を行く寄居虫長野 藤雪陽
飼い犬のようにラジカセ農具市秋田 吉行直人
【嵐を呼ぶ一句】
黒田杏子に逢いたし鬼薇苦し長野 里山子
一般には食用でない「鬼薇」を取り合わせた大胆さ。御本人が見たら、しっかり叱られた後に、この胆の座りようだけは褒めてくださる姿が浮かぶ。しかし、次に会ったときも「鬼薇」は忘れてくれない。