公開日:2023.03.31
[青嵐俳談]神野紗希選
音楽を聴く私に、息子が尋ねる。「何の曲?」「シベリア抑留を描いた映画の主題歌だよ。戦争のあと捕虜となって日本に帰れなかった人がたくさんいたんだ」「えっ。この人はそこにいたの?」「ううん、80年近く前だからね」「いなかったのに、なぜ歌えるの?」。戦争や災害で命を落とした当事者は声を持たない。安易に代弁はできないが、失われた生に心を寄せられるのも、生者のみ。私は、書くか、それとも。
【天】
光球を産みあげて亀鳴き交はす東京 早田駒斗
忘却や遅日てふ字にゐる羊大阪大 葉村直
駒斗さん、季語「亀鳴く」の幻を育て、壮大な神話を拡げた。光の球を産み、鳴き交わす亀たちは、創造主のよう。直さん、たしかに漢字「遅」の中に「羊」が。春の午後、羊のように穏やかに、忘却を貪る。
【地】
野良猫で泥棒猫で親猫で神奈川 いかちゃん
せまさうにふたり花見の自撮りして東温 高尾里甫
いかちゃん、泥棒を働く野良猫は親猫でもあった。子を育てるため、遮二無二生きる猫の事情。対句を重ねつつ、下五で印象が180度転換されることで、切なさが倍加する。里甫さん、「せまさうに」の発見に納得。自撮りのカメラフレームに収まるよう、頬を寄せ合う2人の周りには、まぶしく桜の景色が広がる。
【人】
唇をほどけよ勇気出せよ蝌蚪長野 里山子
その一言を、勇気を出して。「よ」を重ねて励ます心は、蝌蚪のように剥き出しの命で震えている。
【入選】
啓蟄のスープに掬ふコンキリエ三重 多々良海月
石牡丹踏む礼服の黒い花静岡 真冬峰
月面のやうにひひなの笑みたまふ神奈川 長谷川水素
カーソルは詩を待つひかり鳥雲に千葉 木野桂樹
水面を見上ぐ人魚のごと花見日本航空高 光峯霏々
春場所は横綱不在黒酢飲む秋田 吉行直人
末黒野になんにもなくて血の匂ひ東京 加藤右馬
道いつも濡るゝ倫敦春霞大阪 未来羽
白鯨の欠伸のごとき春疾風松山 或人
朧夜のスパチャに慣れてゐる兄よ大阪 ゲンジ
演説の傍の路たばこ春曇名古屋大 磐田小
瓶詰の野菜鮮やか桜東風松山 川又夕
詩のことばふるわせるごとミモザ咲く茨城 五月ふみ
春キャベツ未来志向の独り言京都大 武田歩
しゃぼん玉透かすセピアの吾の顔今治 京の彩
Ma Chrieと呼べば振りむく種まく人九州大 長田志貫
タンカーをとほく菜の花畑かな洛南高 久磨瑠
恋ケ窪てふ駅中を狂ふ蝶東京 桜鯛みわ
われだけがスーツの駅や草萌ゆる東京 阿部八富利
【嵐を呼ぶ一句】
はるのしほにきたまあらたまにきみたま福岡 横縞
神道における神は二面性をもつ。和魂(にきたま、にきみたま)は平和的な面、荒魂(あらたま)は荒々しい面。春の潮は穏やかだが、ときに荒魂が暴れ、津波などを引き起こすことも。今はまた和魂が統べる海を眺め、人智を超えた脅威と失われた命を思う。




