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青嵐俳談

公開日:2022.09.02

[青嵐俳談]神野紗希選

 〈置き去りにされた眼鏡が砂浜で光の束をみている九月 穂村弘〉。置き去りの眼鏡が見る世界は、俳句の静けさに似ている。砂浜の光の束を見つめたい。

 【天】

海獣の口腔深き敗戦日福岡    横縞

 海の獣が大きく開けた口の奥の深さ暗さが、暗喩的に戦争の負の記憶を呼ぶ。呑み込まれる暗がりはやはり「終戦」ではなく「敗戦」。かの戦時に海で散った多くの命を思い、新たな戦争の気配におののく。

 【地】

夏の霜に触れメタバースへ潜る松山  若狭昭宏

桃喰ふて子宮の在りし虚が潤む神奈川  ノセミコ

 昭宏さん、メタバースとは、アバターを使って生きる仮想世界。はかない夏の霜をこの世界のかすかで確かな実感として、メタバースに飛び込む。ノセミコさん、子宮摘出後の空洞を虚と呼び、桃を食べたらその虚が潤むととらえた。命を巡る深い体感に満ちた句。

 【人】

かわいいは作れる秋風は呼べる東京  山本先生

汚れやすきこころそのまま踊子草九州大  長田志貫

 山本先生、「作れる」「呼べる」の不遜な態度にも、秋風の寂しさが切実をまとわせる。同時作〈あんぱんで済ませ驟雨の式場へ〉、平らに見せた心の底に感情が熱をもつ。志貫さん、踊子草の素朴が、心の弱さを肯定する。同時作〈人並みに奢れば詩情秋近し〉、詩の傲慢を自覚すれば、無常を思う秋が近づく。

 【入選】

晴れてきてまだ雨 雲も今朝の秋松野 川嶋ぱんだ

帰省して痩せた祖父見て帰宅する済美平成  坪田陽菜

秋めくや皿より大き皿の影大阪大   葉村直

日射病あるいはあのときのマチネ西条   広瀬康

終戦の日の生卵ゆで卵神奈川  高田祥聖

釣り人は白シャツばかり防波堤西予    えな

コスモスや肖像権を持つ私青森 夏野あゆね

梅水晶こりこり四人して秋思神奈川 いかちゃん

すすきすすきいぬのゆうれいにもしっぽ岡山    ギル

反戦歌途切れ夏の果にいる松山  松浦麗久

シャンプーは無数のあぶく終戦日大阪   ゲンジ

電子レンジの光眩しき原爆忌東雲女子大  坂本梨帆

どの岸もさやかに遠き小舟かな兵庫    果樹

手火をもみ消すアロエジュース缶東京  早田駒斗

待ち受けは金魚普通にホームシック秋田  吉行直人

灯を消して次の花火はもつと花大阪  すいよう

文月やシャーペンはビートを刻む滋賀   乾岳人

パン咥え駆けてみる路地雲の峰ノートルダム清心女子大 羽藤れいな

長時間労働案山子のつくりわらい日本航空高  光峯霏々

講習の課題の余白花火聞く津田塾大    藤棚

 【あと一歩 青葉のスゝメ】

夜の秋やふと思い出すセピア色今治   京の彩

 過去を想起する「セピア」があれば「思い出す」は言わずとも伝わる。その分、何のセピア色なのか示そう。〈夜の秋やセピアの海がふと匂う〉〈夜の秋やセピアの父が我を呼ぶ〉、大切な記憶を引き寄せたい。

 

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