公開日:2022.04.15
[青嵐俳談]神野紗希選
俳句は、どんな素材や感情も排除しない、自由な詩だ。「詠んではだめ」「してはいけない」の向こう側に新しい俳句の源泉がある。自分の詩を模索したい。
【天】
駅おぼろ吐瀉物踏み越えて明日へ関西大 未来羽
歯車にもなれぬ社会や山笑ふ兵庫 冬木ささめ
未来羽さん、都会の駅の混沌を季語「おぼろ」で照射した。誰かの汚物と接し、それでも明日を見据える眼の光。同時作〈Wi―Fiも朧も拾えないスマホ〉も、現代のツールによる新たな不能感を言いとめた。ささめさん、社会の歯車の一つとなり…とはよく聞くセリフだが、非正規雇用の増加や格差の拡大を経て、歯車にすらなれない実感をもつ人も。季語のほがらかさが救いだ。笑う山はきっと受け入れてくれる。
【地】
しやぼん玉絶えて誕生石のあを東京 早田駒斗
わたしなどどこにもいないのどけさよ長野 里山子
駒斗さん、3月のアクアマリンか。しゃぼん玉の光を継ぎ、宝石の青は透けて輝く。里山子さん、「わたしなど」と発話する主体は誰か。私がいればのどかではないという自己否定に、透明な「わたし」が漂う。
【人】
跳躍を捨つれば家畜春の泥松山 川又夕
クロッカス座薬を頼むならあなた大阪 ゲンジ
夕さん、跳躍という動作を、主体的に生きる象徴ととらえた。春の泥をあなたは跳ぶか跳ばないか。ゲンジさん、座薬の挿入を頼める相手はなかなかいない。恥ずかしく、だからこそ切実な「あなた」の希求。
【入選】
霞草胎児は夢を嗅ぐらしい兵庫 染井つぐみ
屋根だった村だった雪間に献花愛媛大 羅点
頼るものなき土筆ほど伸びにけり松山 若狭昭宏
雛あられぶちまけられて床きれい秋田 吉行直人
あたたかや背にくちばしを挿すインコ神奈川 田中木江
牛虻や元気がないと怒れない青森 夏野あゆね
シマウマのけんか君たちみたい春群馬 西村棗
花散るのまにまに水の銀河系大阪 すいよう
落第すこの店のこの塩ラーメン東京 加藤右馬
自由とは風へ桜の揺らぎ方名古屋大 磐田小
透明にも色々あるの春の雨兵庫 果樹
三月十一日袖にチョークの粉海城高 関友之介
居残りの白木蓮におおわれる東京 高橋実里
この沼に河童いません蕨取る神奈川 にゃじろう
絵踏の絵見てワクチンは三回目同 高田祥聖
神様の不在に気付く月朧兵庫 林山千港
ローファーを脱げば深爪れんげ草九州大 長田志貴
たんぽぽを握るつよさで吾子の手を三重 森永青葉
禽群れて光の上を走る魚西予 えな
クレヨンの融点と春の夕焼け兵庫 西村柚紀
【あと一歩 青葉のスゝメ】
春時雨不完全なる時計の死沖縄 南風の記憶
春めくや撓る手首と中華鍋新居浜 翔龍
季語で全体がぼやけるのが惜しい。たとえば〈桜貝不完全なる時計の死〉〈蔦の芽や撓る手首と中華鍋〉、輪郭の細かい季語により、解像度は高められる。