公開日:2021.11.12
[青嵐俳談]神野紗希選
〈海に向く背中ばかりの海にきて海もまた後ろ姿と思う 小島なお〉は昨年刊行の歌集『展開図』から。海を見る人の背中。海もまた振り返らないと感じた。背中の寂しさが、どこまでも海へ吸われてゆく。
【天】
桃だったTシャツの背骨だった岐阜大 舘野まひろ
桃のやわらかさと、背骨の硬さと、感触の対比。桃は命と肉体、エロスの象徴でもある。Tシャツ越しの背骨に触れたか、見つめるだけか。繰り返される「だった」の過去形が、記憶の背中を切なくなぞる。
【地】
脳圧の高まる真夜の柘榴かな静岡 古田秀
懲役千年終わったようなこの満月関西大 未来羽
秀さん、真夜に醒める興奮と柘榴の不穏が、脳圧の高まりを誘引するのかも。裂けた柘榴の内側が、頭蓋の内の脳のやわらかさを思わせる。未来羽さん、懲役千年の途方もなさと、世をはるか俯瞰させる満月と。圧倒的な美への畏怖を、驚くべき比喩で表した。
【人】
川たひら紅葉を掬ふ櫂たひら横浜 いかちゃん
踝に鈴を結わへし秋の夜東京外語大 中矢温
いかちゃんさん、「たひら」の発見をリフレインで強調し、紅葉×川の類型を新鮮に描き直した。温さん、祭の夜を連想してもよいし、夜をゆく心の響きを象徴する鈴とみても面白い。秋の夜をりんりんと歩む。
【入選】
洋梨は毒の甘さか職を辞す大阪 ゲンジ
泡立草は多数派にゐて孤独福岡 横縞
明転や少女は鹿のこゑを聞く京都大 夜行
梨の花砂丘そのまま雲となる大阪 詠頃
鉄塔の影のびきたり牛膝名古屋大 磐田小
散る柳マリオネットの動きたい東京 高橋実里
燃え殻のほしを見てゐる穴まどひ東京 早田駒斗
水足して具体の月にとどかない松山 脇坂拓海
ハロウィンやテーブルクロスの残骸ノートルダム聖心女子大 羽藤れいな
乙は丙と面会しない曼珠沙華東京 山本先生
男の子の服着てねこじゃらし持って神奈川 高田祥聖
父の剥く梨大きくて透き通る東京 紀友梨
鉦叩いづこジェンガは負けばかり兵庫 染井つぐみ
錠剤をコーラで飲んで月明り群馬 光峯霏々
餌入れの舐め跡曇る今朝の冬松山 川又夕
十字架の釘あらはなり夜這星洛南高 蛍丸
潮見表どっか忘れて星流る愛媛大 舞句
柘榴食ぶデーメーテール追放の東京 加藤右馬
脳内で飛び込んでみる秋の海東雲女子大 坂本梨帆
哲学の道をはずれて銀木犀京都大 武田歩
浴室にバリカン鳴らす春隣松山 西内駿
【嵐を呼ぶ一句】
葉牡丹に生まれて誰も傷つけぬ神奈川 にゃじろう
アルマジロの一生なら星月夜松山 ツナみなつ
俳句という詩は命に心を寄せ、人間以外の生を想像する自由がある。葉牡丹に生まれたら。アルマジロだったなら。ひるがえって人間は、どうしても誰かを傷つけ、星月夜を仰ぐ余裕を失いがちだ。この世界に生きる命を介し、今を省み、少しでも解放されたら。