公開日:2026.10.23
[青嵐俳談]森川大和選
〈なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま〉(「源氏物語」葵の巻)は、葵の上に憑依した六条御息所の生霊が詠んだ執念の歌。定説では、生霊となって抜け出た魂を我が身に戻すように求める歌意だが、死に瀕する葵の上の魂を繋ぎ止めておく間は、生霊として光源氏に対面できる意にも読める。
【天】
鏡花忌やみづを湛ふる臍の穴鶯谷高 川崎雅怜
小説「高野聖」では、僧は陀羅尼(だらに)を唱えることで異類に変えられずに済んだ。句はただの湯浴み後かもしれないが、鏡花の忌と思えば、艶麗な女が忍び寄り、水の匂い、死や魑魅魍魎の匂いが漂う。まるで己の身体ではないような錯覚。虚実の明滅。
【地】
林檎の木より綿虫のでてきたる福岡 宇鷹田
凜秋や牛撫でたれば骨に触る大阪 葉村直
「綿虫」は多雪冷涼を好むヤチダモの木に生まれ、繁殖し、たった一つの卵を産んで、一生を終える。林檎の特産地と重なる。綿虫に雪状の蝋が白く濃くなる頃に、「サンふじ」の万果に金の蜜が入る。後者、牛は肩や腰の骨が分かる。掌に余る太さ。凜と澄む冷気の底で、牛は熱塊として湯気を立て、白息を漏らす。
【人】
大花火へつづく螺旋や人類史千葉 弥栄弐庫
「玉や」と掛け声を発するまでの溜めの数秒。世界終末時計は残り85秒。大花火は、宇宙に灯る地球文明のまばゆさか、戦争に使われる火力の隠喩か。
【入選】
布団干す襟裳岬を歌いつつ秋田 吉行直人
大ぶりな一尾ありけり鰯雲松山 小林浮草
秋風の芯を摑みに行くところ新潟 酒井春棋
秋の日や綻び初めし鳩の首米国 爪太郎
恋をする人魚の鱗めくダリア静岡 海沢ひかり
ほんたうのこゑを失くしてゐる良夜松山 広瀬康
海鼠噛むわたしのことだからわかる同 板尾奈々美
洗はれて銀となりたる水蜜桃神奈川 河埜スミヰ
底紅やわたしが敵になってやる八幡浜 福田春乃
秋の風鈴みっつ数えて鬼になる長野 里山子
夜業果つ指にチラシのインクの香三重 多々良海月
じんるいは冷たき宙へゑのこ草北海道 柏木七歩
熟れ柿の徐々にほぐれる表情筋広島 航空障害灯
砂糖黍ふと銃口の味したる岡山 岩橋のり輔
爆心におほきく立つや広島忌今治 白石孝成
なめろうに沈まぬ匙や秋彼岸京都大院 武田歩
改憲を民は望まず南瓜煮る埼玉 伊藤映雪
読点に祈り、句点に安堵。秋大洲 坂本梨帆
胡桃割る少年十字軍の夢東京 浅野輝
秋はゆふぐれ心にひらく遊園地兵庫 石村まい
【嵐を呼ぶ一句】
百万の古書裁断や夏の果神奈川 大地緑
AI学習の目的で世界の古書が大量購入され、読み取り後には裁断、廃棄されている。専門書や絶版本も多い。既にデータ情報の総量は紙のそれを遥かに凌駕しているが、さらに原典喪失の時代が到来している。




