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青嵐俳談

公開日:2023.02.17

[青嵐俳談]神野紗希選

 俳句における「私」はどこまでも透明。一人称に見える句でも、その「私」は「私たち」として誰かを透かす。「私」は無限に淡く拡大し、春風や木の芽や蝶、季語も呑みこんで、大きな「私たち」となる。

 【天】

象が踏んでも壊れない春の夢秋田  吉行直人

 「象が踏んでも壊れない」は筆箱の宣伝コピーだが春の夢を合わせると普賢菩薩の連想も重なる。春の夢の強度。同時作もアイロニー強し。〈正義感強くてコート毛玉だらけ〉の報われぬちぐはぐ感、〈雪うさぎ他殺の半分は身内〉の冷たく優しい季語の切なさ。

 【地】

卵炒る股引の皺伸ばしつつ大阪   未来羽

口の傷癒えたり街はいま霙静岡 桃園ユキチ

 未来羽さん、股引のまま炒り卵を作るような物語にならぬ日常も、無意識の「皺伸ばしつつ」を掬い上げ丁寧に書く。同時作〈蜂蜜は気泡留めて春隣〉、気泡の光が春を呼ぶ。ユキチさん、口の傷はナイーブ。癒えたのと入れ替わるように、霙が街を傷つける。

 【人】

悴みてサドルの滴りを拭う済美平成   岡柳仙

葉牡丹や夜は終わり方を忘れ大阪    詠頃

 柳仙さん、悴んだ指やサドルの雫から、寒い冬の感触が鋭く伝わる。冷たいと分かっていても拭う、それが生活。詠頃さん、冬の朝の、あの遅々として明るくならない暗さは、夜が終わり方を忘れているから、と言われれば納得だ。葉牡丹の微光が静かに朝を呼ぶ。

 【入選】

ロールケーキをぶりっこたらしめる苺宮城  佐東幸太

梟の雪を蹴立てて鼠獲る三重 多々良海月

刷毛は絵の海をしづめて寒月下東京  早田駒斗

乱数と虚数の森を鎌鼬西条   広瀬康

火葬待つホールに鮫のゐるやうな大阪大   葉村直

もう津波知らぬ児童も卒業す京都大   武田歩

春の湖みんな自由に笑いけり西予    えな

ヒーターの眩し天井の煤恋し松山   ひなこ

雪夕日ねぇ、そんな季語あったっけ東雲女子大  坂本梨帆

締め切りが迫りくるごと雪しまき同  田頭京花

恋文を火に喰はしをり春の雪中国  加良太知

原稿マスはみ出て私信猫柳松山   川又夕

寿命見て電球を選る風邪心地神奈川 いかちゃん

素通りす駅のピアノの凍てたるを日本航空高  光峯霏々

偶像の台降りられぬ寒さかな名古屋大   磐田小

冬林檎しずかにそだちしうらみはまるく東京  八々葉子

孵化しゆく子らは雪ふる校庭へ福岡    横縞

涅槃西風AIロボの逆まつげノートルダム清心女子大 羽藤れいな

あいまいなスープも愛の日と思う神奈川 にゃじろう

抽斗に指輪は鈍く花八手茨城  五月ふみ

 【嵐を呼ぶ一句】

エキストラヴァージンオイル冬日向兵庫  西村柚紀

 たしかに、冬日向の翳りある光は、透明度の高いオリーブ色と等価だ。直感を信じた大胆な二物の配合。

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