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青嵐俳談

公開日:2020.09.11

【青嵐俳談】神野紗希選

 19年前の今日、マンハッタンのビルに飛行機が突っ込んだ。アメリカ同時多発テロだ。私は高校3年生で、準備を重ねた運動会前日で、うとうとして報道を聞いた。ビルにいた人も同様に日常を過ごしていただろう。テロリストの日常はもっと昔に損なわれていただろう。格差のひずみは今も、香港にシリアにミャンマーに、形を変えて在る。私の今がどこと地続きか。誰の上に成り立つ日常か。目を閉じて、考える。

 【天】

ぬばたまの髪のひとふさ菊枕向陽高    美菜

 邪気を払う菊の花びらを干して詰めた菊枕は、安眠効果があり長寿ももたらすとか。杉田久女が手作りの菊枕を師・高浜虚子へ贈ったことから、情念の気配もまとう季語だ。枕ことばの「ぬばたま」も、情念の象徴である「髪」も、和歌由来の濃厚な語。薄い菊枕に垂らす黒髪のひとふさが、つややかに高貴に匂う。

 【地】

灯籠流しここ平和なんだって松山   みなつ

民主化の声嗄れ落ちぬ蝉時雨京都工繊大院  生田海斗

 みなつさん、平和を実感できていない、人ごとのような伝聞が、逆に平和とは何かを問いかける。虐待、過労死、相対的貧困…平和という語の穏やかな響きからは程遠い軋(きし)みが、現代のそこここに聞こえる。海斗さん、香港を見つめての句か。蝉時雨の力強さとはかなさに、祈りの深さ、道のりの遠さを思う。

 【人】

忽ちに雲の翳りや葛の花今治  犬星星人

かき氷食べてかき氷と思う東雲女子大  坂本梨帆

 犬星さん、秋の天気の変わりやすさを描写した雲の翳りが、葛の花の暗さをも引き出した。梨帆さん、暑さにボーっとした頭が、簡潔な同語反復を生んだ。

 【入選】

吊革に届く手金魚を死なせた手関西大   未来羽

書き置きは風にめくれて茄子の馬静岡   古田秀

秋風さざなみ乾けば星となるひとみ北海道  ほろろ。

占いのまづまづの日の檸檬買ふ東京外大   のどか

手花火や姉は上京するらしい今治西高  盛武虹色

一冊で済む全集や露凉し愛媛大  近藤拓弥

桐の秋保育所まではまだ遠い岐阜 後藤麻衣子

投函のやうに日落つる残暑かな立教池袋高  ずしょ

しりとりをしながら食べる西瓜かな神奈川  とりこ

髪を結いて夏果の届けない文明治大  大西菜生

流星や見えないものにテロリスト松山 久保田牡丹

不知火や瓦礫のまちに新聞紙岐阜 舘野まひろ

緑蔭の二重になりて島の道伯方分校  馬場叶羽

アスファルト夕立が蒸発してく東温  水かがみ

三つ編みをほどきし跡や明易し岡山大    訛弟

水槽を濯ぎたる車庫 夏の月愛光高    沙生

合わさって化石のいびつ晩夏光松山西中等  岡崎唯

白玉のくぼみに影の溜まらざる神奈川     ぐ

 【嵐を呼ぶ一句】

歯磨き粉しぼる突然夏がでる東京  小林大晟

 歯磨き粉を絞り切ろうと力を入れると、予想外の量が出ることがある。飛び出す一塊の歯磨き粉を、大胆に「夏」に置き換えた。唐突に訪れる感じ、ミントの爽快感、取り返しのつかなさ、まさに夏だ。

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