公開日:2020.06.26
【青嵐俳談】森川大和選
対人心理学に用いる「ジョハリの窓」理論では、自分だけが知る自分を「秘密」、他人だけが知る自分を「盲点」、両者が知れば「公開」、両者が知らなければ「未知」と自己の領域を四つに分類する。秘密には喜びがあり、盲点には己の輪郭がかたどられている。
【天】
ここだけの話は氷噛みながら済美平成 藤尾美波
「氷」は「氷菓」だろう。噛めば中から何種類かの果物が出てくるものを想像した。ごろごろした果物が「秘密」や「盲点」であり、奥はまだ「未知」なのである。色も明るく、会話のみずみずしさが伝わる。
【地】
冷房や兜のように脱ぐマスク大阪 ぐでたまご
オフィーリア死して暗転冷房機静岡 古田秀
冷房2句。前者は「兜」が効いている。「鎧(よろい)」も着た病院現場の尽力を思う。調節された「冷房」だが、気分が少し切り替わる。後者は「ハムレット」の幕あい。ボタンの掛け違いが彼女を追い詰めた場面。ホールに響く「冷房」に悲劇の余韻が乗る。
【人】
梅雨寒のいんこが齧るノートかな東京外大 のどか
「梅雨寒のいんこ」が面白い。季語と他の要素を「の」で繋ぎ、新しい感覚を出した。身をよじる姿も愛らしい。そして「ノート」で軽く抑えた。句の要素はやや多めだが、そう感じさせない構造になった。
【入選】
白日傘言葉はきだすやう開く愛媛大 近藤拓弥
検閲のない国にいて浮いてこい兵庫 藤田俊
人間に空は窮屈団扇風埼玉 さとけん
黄塵の積もる形や佐渡島新潟大 綱長井ハツオ
浄瑠璃の口元紅し子花蜂新居浜 羽藤れいな
雨音の小さき破裂やシクラメン神奈川 ぐ
胃下垂も鬱も個性よ百日紅千葉 正山小種
眠られぬ夜ごとに増ゆる時鳥今治 犬星星人
ダリの絵の乾かぬ肉の色や夏松山西中等 岡崎唯
藤の花雲ごと千切るやうに摘む沖縄 南風の記憶
茉莉花や髪乾かざる夜のしじま北海道 ほろろ。
蛙鳴き交わす夜嘘を通した夜同 北野きのこ
あとを託しプールサイドの硬さかな東京 小林大晟
風鈴を吊つて市電のとほるなり立教池袋高 ずしょ
独身といふは称号夏木立松山 久保田牡丹
焼き茄子を剥くその前の深呼吸弘前高 鰊記高
三回に分けて卵を注ぎ初夏洛南高 沙山
蟻喰の蟻嗅いでゐる嗅いでゐる神奈川 塩谷人秀
天日干すパンダ二体や柿若葉東京 中川裕規
【嵐を呼ぶ一句】
歩く者すべて俯くアレント忌秋田 吉行直人
ハンナ・アレントはナチスを逃れたユダヤ人で、全体主義を生む社会構造の研究に生涯をささげた哲学者。命日は12月4日。「俯く者」は、強制収容所へ向かう人々の列を連想させる。寒風に縮み、絶望し、静まり返っている。この句では、その言い知れぬ重みに通じる疲弊が、現代を生きるわれわれの中に、「盲点」として潜むことを示唆するようで、肝を冷やす。