公開日:2019.05.17
【青嵐俳談】森川大和選
俳句の現代性を考えさせられる作品として〈梨落とすよ見たいなら見てもいゝけど 外山一機〉を紹介したい。弱々しく曖昧な物言いの奥から、自分を見てほしいと願う強烈な自意識が染み出てくる。打ち落とすものがリンゴの真紅であっては自分が主役になれない。この句の現代性は、社会の抑圧構造に生きる人間の、ささやかなぬくもり希求。
【天】
間奏に小瓶呷りて蛾のひかり東京外大 中矢温
野外ロックフェスティバルの狂気を切り取った句と読んだ。酒を一気飲みする「呷(あお)り」は不健全だ。「蛾」の紋様もまがまがしい。しかし、忘我の境で恍惚(こうこつ)感に酔いしれる、退廃的な若者の像を象徴し得た。現実からの逃避、斜陽、抑圧からの解放。カタルシスに泣いているかもしれない。歌の祭典が、宗教的な信仰を現代的装置に仮託した儀式に思えてくる。
【地】
紅鱒の引っ搔く毒もみの川面沖縄 南風の記憶
「毒もみ」は植物の実などに含まれる麻痺成分を水中に揉み出し、魚を獲る古漁法。現在は法律で禁止されている。紅鱒漁に用いられたか定かではないが、皮を剝いだように赤い婚姻色の紅鱒が、川面を引っ搔き暴れ、もがき苦しむ臨場感を再現した力量を評価する。
【人】
春や春「さよなら」の練習がいる松山 奈月
表現を我慢したところが良い。あとは読者が読んでくれる。かぎ括弧も成功。別れのせりふが歌の題名にも見え、歌の世界観を含んだ惜別になった。幻想が現実に染み出してくる。「春や春」も見事。2回目の「春」が感傷的なムードを残しながら、現実の分量を取り戻す。
【入選】
行く春や手の平に書く「尿検査」大洲高 岡田真巳
踏青や等身大の時間割松山東雲女子大 坂本梨帆
空席に残すレジュメや春惜しむ東京 須賀風車
湖底に菜の花の香を探しゆく松山東高 吉田真文
マゼンダにゆっくりとたすなら春雨松野 川嶋健佑
バイソンの咀嚼かなしき春驟雨愛知 蟻馬次朗
ブラインドの透くる透かざる春の鳥
長崎大 塩谷人秀
花筵に滑つてしまふ鳩のゐて立教池袋高 にぼし
横綱のタクシーに乗る花の昼松山東高 武田歩
英会話スクールに行く蟻の列同 山内那南
シロナガスクジラのごとき青嵐今治 立志
背後からパーティーピーポー蟇松山 松浦麗久
鯉のぼりうねるや下にブルドーザー京都 青海也緒
【嵐を呼ぶ一句】
4月の時代を/踊る巨石を/踏む私長野 らたくや
「多行俳句」が来た。「/」は改行の意。戦後、高柳重信が提唱したこの形式の強みは、一行の棒書きでは埋没しそうな言葉の印象を、より鮮明に放つ点にある。しかしこの句は「を」の並列表現が逆効果だった。〈4月の時代を//踊る/巨石を/踏む〉ではどうか。「時代を」の余韻が広がり、後半も一語一語の意味が際立つ。「私」は「踏む」実感に包含され、省略できる。