公開日:2019.02.08
【青嵐俳談】森川大和選
時々は妻と二人でコンサートへ出かける。趣味でチェロを弾く妻は、手練れた様子で十八番を弾く挨拶のような一曲よりも、曲に込める意識が緊密で、一音一擦に精神が集中し、聴けばその演奏家の宇宙観と対話できる演奏が好みのようだ。そんな夜は、弓の馬毛が弦から跳ねた松やにの摩擦にも、奥深く呼吸する奏者の息遣いにも耳をはたらかせ、演奏に満たされておく。
【天】
チェンバロの冷えゆく部屋の昏さかな今治 犬星星人
チェンバロは前音の残響の中から、次の音がセピア色で湧き上がってくる。耳に聴かせば荘重で神秘的。弦の震えがじんじんと記憶にしみ入る。古楽器の個性だ。演奏者の手の熱や会場の熱気の冷えゆく余韻が、余韻であるのになお生々しく、昏さの中に迫ってくる。その交錯に詩情がある。初めは「部屋」に疑問があった。社交会場やコンサートホールを連想させてもよいはずだ。しかし最後に、この「部屋」を「頭蓋」と読むに至り納得できた。眠りの中に響くチェンバロ、記憶の中に響くチェンバロを、追体験させてくれた。
【地】
ちやるめる草ポスト口より溢れけり松山 川又夕
花の形状から、ラーメン屋台の店主が吹く哨吶(チャルメラ)を名に持つ「哨吶草」だが、実物は小ぶりで繊細かれん。亜高山帯の渓谷の暗い湿地に生える。図鑑の拡大写真では、花は多肉植物の質感。それが玄関備え付けの投函口を開くと、咲き乱れ、溢れてくる。独特の感性だが、類がなく面白い。新種発見の気分。
【人】
雪よ雪よ街を塗りつぶしているか京都 青海也緒
童話の世界へ誘う冒頭部分を朗読したような一句だ。同時作〈初雪や窓際の父踏み台に〉と合わせて詠めば、卑近な日常性からの振幅も面白い。
【入選】
フィッシュボーンてふ髪型や卒業子松山 松浦麗久
旅の荷は日溜まり溜めてミソサザイ松山西中等 岡崎唯
粉雪の軌道国境線を引く松山東高 武田歩
手冷たし陶器のブローチは青し松山 みなつ
初凪やふたつ隣の県の崎広島 須賀風車
指の間を抜け風花の消えにけり今治 立志
寒月や方向指示器の脈動KTC松山 坂本梨帆
始発電車に手のあと残す冬の朝松山東高 山内那南
日記買うただし書くとは言ってない同 小野芽生
宿題をきれいに積んで三日かな済美平成 まを
【嵐を呼ぶ一句】
瓶に花 真冬の空を鳥の羽松野 川嶋健佑
窓を開け放つアトリエ。描きかけの静物画。光差す空間に失踪した画家の体温が残る。主体の不在が主題の一句。技が際立った分、欲を言えば「花」や「羽」の象徴性の先に、その後の物語を示唆してほしい。