朱欒 しゅらん朱欒 しゅらん

青嵐俳談

公開日:2019.01.25

【青嵐俳談】森川大和選

 2018年7月の「海程」544号終刊号には、同年2月に逝去した主宰金子兜太氏への追悼句がひしめいている。代表句〈梅咲いて庭中に青鮫が来ている 兜太〉に登場する「青鮫」のごとく。例えば〈梅咲くも青鮫の庭寂しかり 畑上麻保〉では兜太の喪失感が迫る。〈庭中に兜太師の鮫いるわいるわ 椿良松〉では諧謔(かいぎゃく)の裏に悲涙の数ほど鮫がいる。〈青鮫忌泣く子はゐねがみんな泣く 柳生正名〉では兜太の忌日を「青鮫忌」と定めている。〈兜太先生青鮫いますか猪はいますか 松本勇二〉では〈猪が来て空気を食べる春の峠 兜太〉を含む。兜太が大切にしたアニミズム。今度は兜太自身がアニマとなって、俳句という詩型に宿る。

 【天】

あをいろの鮫の最期の呼吸かな松山東高   武田歩

 不死と信じられた「青鮫」が息絶えても、鮫の仲間とその子弟がひしめいている。その最後の一頭は何代後で、最期にどのような息を吐くか。その時、俳壇はどうなっているか。日本の平和はどうなっているか。兜太の遺産を忘れてはならない。同時作〈能面の笑み浮いてくる焚き火かな〉も精神の底に封印された狂気が解放されそうになる。虚実皮膜の間に芸術がある。

 【地】

ゆつくりと銀樹のびゆく十二月今治  犬星星人

 「銀樹」とは銀イオン水溶液から析出した金属の樹枝状結晶。美しさに陶酔する。師走のせわしさが効いている。聖夜や年末の神秘的な感覚とも通底する。

 【人】

白鳥の首のしなやか水の檻松山   川又夕

 「檻」の主観的な断定が効いた。中七は月並みな表現だが、かえって「白鳥」を戯画化し、気付かないふりをしているだけの「檻」が、われわれの身近にも在ると暗示するアフォリズムとなった。同時作〈がちやがちやと画材抱へて波の花〉も滑稽味が味を出した。

 【入選】

行く年を砕きゆくごみ収集車長崎大  塩谷人秀

鍵のある日記を買ったおとうと新居浜西高 星加萌愛

一突きに星の溢れる除夜の鐘松山東高  山内那南

手品師の瞳に飼いならす冬銀河松山西中等  岡崎唯

冬ぬくしパッヘルベルカノンが好き松山   みなつ

指舐る大根湯がいていた君の島根県立大  毛利菜々

カレー食ふ横顔凜と日脚伸ぶ済美平成    まを

「敦盛」の足袋に鼓に枇杷の花沖縄 南風の記憶

枝に居る枯葉小鳥のごと冬日京都  青海也緒

冬ざれのよる動き出す表紙の絵松野  川嶋健佑

幼子の夢をスケッチする聖夜今治西高 渡部瑠々奈

 【嵐を呼ぶ一句】

海覗く蜜柑が明かりの段畑松山東高  吉田真文

 俳句は調べ。〈海満つる蜜柑明かりが段畑中〉などはどうか。「覗く」は何が見えたか具体的に。「蜜柑明かり」は造語になるが、発見の鮮度が出る。

 

最新の青嵐俳談